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1991/8/6 香港

 


 

 
 
やはり、今になって思い出すと、よくぞあそこまで無謀な旅行計画を組んだもんだと思うんですよね。若気の至りというんでしょうか・・・。

 8月6日の夜(8時か9時くらいだったかなぁ)に香港に着く飛行機で日本を旅立ちました。帰りは9月4日に香港から日本へ帰る予定でそのチケットは持っていたのですが、それまでの1ヶ月間はまったくの白紙しかも海外旅行は初めてなうえに、たった一人で、旅する国はわけのわからん中国!無謀にもほどがあるというもんです・・・。

 1ヶ月間、いかようにも過ごせばいいのです。でもどう過ごしたものやら・・・。漠然と旅のルートは考えていたものの、果たして予定通りコトが進むかはわからないので、余裕を見て旅すればいいや、などと考えていました。

 それにしても、いくら若かったからとはいえ、金がもったいなかったからとはいえ、香港に夜着くことがわかってんだから、しかも初めての海外旅行なんだから、その夜の宿くらい予約しときゃいいじゃん[無謀バカ(TT)]。

 そもそもなんで1泊目の宿を取っておかなかったかというと、友人らが口々に「いくらでも安宿があるから予約なんか要らないって」とか、「マクドナルドが24時間やってっから、いざとなったら行きゃいいって」とかいうアドバイス(?)を鵜呑みにしてしまったのですね・・・。
 

 
 

 
 前置きが長くなりましたが、成田発香港行きの飛行機に乗った私は、その中でやはり中国を旅する計画だという学生の2人組みと知り合いました。確か片方は東大だと言っていたなあ。その2人組みは当然ながら宿は予約してあったんですね。それで、宿のない私は、香港に着いてからとりあえずその2人組みと一緒にタクシーに乗り、彼らの泊まる宿までついていき、もし泊まれるならそこに泊まることにしようと考えたのです。

  ところがその宿というのが割と品がいい感じのホテルだったので、こりゃとても貧乏学生のくるところじゃねぇや(TT)、ということでそこでの宿泊はあきらめて彼らと別れ、ホテルの前からタクシーに乗り、安宿があるという「尖沙咀(チムサーチュイ)」という街まで行くことにしました。
 

 

 

 タクシーのおっちゃんと片言の英語で話したのですが、半分以上は意味不明でした。尖沙咀に着いたのでメーターの60.8香港ドルのところ61ドルを払うと、しっかりチップとして20セント取られました。「明日から中国に行くつもりだ」というと、「中国人を信じるな」というありがたい忠告をくれました。

 

 尖沙咀でタクシーを降りたものの、やはり初めての海外旅行で夜遅くに「オイラは〜〜宿無し(by世良)」ってのはカナリ心細いっすよ。アナタ、やってみます?どっちが北なのかもわからんし。「地球の歩き方」を持ってだいぶうろうろしたとおもうんですよ。もうよく覚えてないんですけどね。

  で、うろうろしているうちに、事前に一応調べておいた、
「重慶大厦(チョンキンマンション)」という、安宿などがたくさん入った巨大な雑居ビルになんとかたどり着くことができたんですね。ビルは当然ですが、薄汚かったです。それで、まあとりあえずどこかの宿を探すべ、ということでエレベーターがあったので乗ったのですね。

  ところが、乗ってから即座に「シマッタ!」と直感しました。私以外に乗っているのは5、6人の黒人(インド系だったのかも)だけで、「アワワ、ワタシ、もしかしてこの人たちに身ぐるみはがされて、初日にしてこの旅は終わっちゃうのかしら、ピーンチ(@@;)!」と、マジで背筋に寒いものが走りました。

 

 

 

 

 しかしながら、それは杞憂に終わり(当たり前・・・)なんとか無事、その日の宿を得ることができました。確か          「Travellers Hostel」という宿だったと思います。生まれて初めて「ドミトリー」(相部屋)なるものも経験し、波乱の初日は終了しました。

 

 

 ちなみに、この宿にはその数年後、社会人になってから遊びに行ったときにも泊まったのですが、ロビーで図体のデカい黒人が体操しながら、「セ〜クサ〜サ〜イズ、ぬわっはっはっ」とか言っていて、さすが黒人はファンキーだぜ、とやけに感心したのが印象に残っています(そんなんばっかり覚えてる・・・)。

 



 

  なんだか字ばっかりで写真が一枚もないのですが、写真を撮る余裕などございませんでしたので、今後にご期待ください・・・

 

 

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