B型人間の海外歩き:中国編 ブログ HOME                              Amazon Yahoo! JAPAN   Google

1991/8/7 香港、広州


 

 さて一夜明けて、早速中国へと向かうべく、中国行きの電車が出る駅へと向かいました。

 
香港の街並み。どこだかよくわかりません(爆)。たぶん九龍駅前。

 中国に入国するにはビザが必要だったのですね。そのため、割高ではあったのですが日本で1万円ほど払って事前に取得しておきました。香港で取ればもっと安く取れたはずなのですが、できるだけ早くシルクロード方面に行ってゆっくり見て周りたいと考えていたので、香港での時間を節約するため、そうしたのです。


広州行き特急列車。

 無事中国行きの電車に乗ることができ、中国へ向けて走り出しました。ちょうどお昼時で、車内販売で弁当を買いました。いまだにその中身を覚えています。ごはん(タイ米みたい)に肉野菜炒めが合わさった、いわゆる「肉野菜ライス飯」だったのですが、その中に、それまでは一度も見たことのない「キノコ」が入っていたんですね。

 後日、それは
「フクロタケ」というあのあたりではポピュラーなキノコだということがわかったのですが、国が変わるとキノコひとつとっても違うんだなあと感じたことを、今でも鮮明に覚えています。

 

 しばらくすると、隣に座っていた中国人か香港人のおっちゃんが英語で話しかけてきたので、私も片言の英語で答えました。私がひとりできたというと、

ひとりでか?中国にひとりでくるのは無謀だ。2〜3人でくるべきだ」

 というありがたいアドバイスをくれました。できれば日本でお聞きしたかったです(TT)。
 

 

 そうしているうちに列車は国境を越え中国に。やがて広州駅に着きました。また今日も宿探しをしなければなりません。合わせて、次の目的地「西安」行きの列車の切符も急いでGETせねばならないのです。
  
 とにかく「シルクロード」といわれる地域をゆっくり見て周りたかったのと、先輩の行ったウルムチよりも奥地の街までなんとしてもたどり着きたかったからです。

 しかしながら、中国の交通事情、特に遠距離の移動の場合はなかなかすんなりとは行かないと、事前の情報でも知っていたので、はてどのように西安行きの切符を手にしたものやら、と思案していました。
 

 そんなことを考えながら駅前の広場をうろうろしていたと思うんですね。そしたら、外国人旅行者というのは大体身なりや雰囲気でわかるので、女の子の2人組が「どこに行きたいんだ」と話しかけてきたんです。「できるだけ早く西安に行きたい」と言ったら、その子らがじゃあ200元(約5000円)でどうだ、と言うんですね。実際の料金はもっと安かったんだと思うんですけど、駅で並んで買う手間を考えたら、そう悪くもない値段かなと思って頼んだんですよ。
 
 しばらく待っていると、女の子の1人が確かにその翌日の西安行きの切符を持って来たんですね。硬臥(こうが:2等寝台)の。へぇ〜こりゃ手間も省けてよかったわい^^。ということで200元を支払い、意外にすんなり西安行きの切符を得ることができた、とこの時点では思っていたのですが・・・

 

 さて、ここで当時の中国の鉄道事情の一端をお話します。鉄道の客車には大きく分けて4つのタイプがあり、硬座(2等席)、軟座(1等席)、硬臥(2等寝台)、軟臥(1等寝台)となっていました。広州→西安は2泊3日の行程なので、安い寝台の硬臥にしたのです。後日、西安→ウルムチの行程は3泊4日の硬臥の旅となりました・・・

 

 西安行きの切符を手に入れた私は、目星をつけておいた宿へ向かうべく、路線バスに乗りました。


バスの車内。車両が2両連結されている。電気で走るトロリーバスでした。

 その中で、ある中国人の女性に向かって、降りる予定のバス停の場所を書いた紙を見せて、「ここで降りるから教えてね」みたいなしぐさをすると、たどたどしい日本語で「ハイ、ワカリマシタ」というではないですか。(??)なんで日本語を知っているのだと訊くと、働きながら日本語を勉強していて、将来は通訳になりたいとのこと。それで、駅前で私がうろうろしているのを見かけて日本人だと思い、一緒にバスに乗ってきたんだというんですよ。日本人と話がしたかったらしいのですね。こちらとしても中国人の知り合いができるのはウレシイのであれこれ話をしました。

 また、バスのなかでは、スリがいるからバッグは前に持ったほうがいいとか、席が空いたら座らせてくれたりとか、とても親切にしてくれました。

 ところが、話している中で、私が西安行きの切符を駅前にいる女の子から買ったというと、突然血相を変えて、

 

「エエッ!ソレハイケナイアルヨ!!」(「アルヨ」とは言いませんでしたが^^;、イメージです・・・)

 

と女性がいうではありませんか。えっ、マズかったの(??;)コレってもしかしてニセモノ?切符を見せてみろというので見せると、「ウ〜ン、ドウカシラネェ・・・」と、わからない様子。切符には確かに翌日の日付と西安の文字が印刷されていたのですが・・・

 

 

 バスの終点まで来て、予定していた宿も彼女に見つけてもらい、チェックインの手続きまで彼女にしていただきました。

 チェックインが済むと、女性が、「この切符は本物かどうかわからないから調べてあげる」というのですね。私としてはどうしようもないので彼女の善意にお任せするしかありません。それで、一緒に立派なホテルの中にある旅行会社に行き、確認してもらうことにしました。

 もしニセモノだったら、5000円の出費は痛い。そのときの旅行では確か20万円ほどのトラベラーズチェックを持って行ったと思うのですが、これから約1ヶ月いろんなところを見て周りたいのに、ハナからコレでは先が思いやられる・・・などと考えながら、ホテルのロビーで彼女を待っていました。

 

 しばらくして、彼女が旅行社から出てきました。

 

 「アー、Yさん・・・
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            コレ・・・
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                  ダイジョブミタイネ。」   いがった〜。ホッ。 

 

 そんなことでなんやかんや大変お世話になり、翌日も市内をちょっと案内してもらえることになりました。こちらも「日本語付観光」ができるので願ったりかなったり。また会う約束をして別れました。

 そうしてようやく当日の宿にたどり着き、またドミトリーのベットをゲットできました。


部屋の窓からの眺め。大きな建物が、先程の旅行社の入っていたホテル。「にじむ街の灯を、ひっと〜り、見ていた〜」(by上田正樹 風)。

 上記の風景を眺めながら、「あ〜あ、ひとりで来ちゃったけど、やっぱ不安だなあ」と、真剣に悩んだのを覚えています。子供じゃないんだから、来る前に気付け、H(ファーストネームイニシャル)
 


 
夜になっても眠くないのでロビーでうだうだしていると、若者4人組(香港人の女2人男1人、スウェーデン人の男1)が11時頃になってホテルに転がり込んできたんですね。ですが当日はもう一杯で泊まれるところがないので、仕方なくロビーにいさせてもらうことにしたらしいのです(その辺は外国の安宿は寛容なんです)。

 その香港の女の子たちと話をして、私が1ヵ月後に香港からまた日本に帰るというと、じゃあ、そのときに私達が香港を案内してあげる、といってくれるのですね。おお、それはありがたい。香港は昨日も全然見れなかったし(爆)。ということで、ひとりの女の子の電話番号を聞き、香港に戻って来たら連絡させてもらうことにしました。
 
 実際、1ヵ月後に香港に戻ってきて、幸運にも彼女らに案内してもらうことができました。その話はそのときに・・・

 

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