B型人間の海外歩き:中国編 ブログ HOME Amazon Yahoo! JAPAN Google 1991/8/26 トルファン
朝からトルファン郊外の史跡見物へ。この日行った観光スポットの案内はこちら。
まずは火焔山。左写真の後ろの山。トルファンといえば火焔山というくらいの名所。横を向けば果てしない地平線が広がる。
続いてベゼクリク千仏堂。千仏堂というくらいだから、仏像のある遺跡があったはずなのだが、なぜか遺跡脇にある砂山が気になり、千仏道そっちのけで砂山に登ってしまった。
次はアスターナ古墳群。
アスターナ古墳ではミイラを見た。ミイラを見たのは初めてだ。しかし、やはり死んだ人は灰になったほうがいいような気がする・・・
午前中の最後は高昌故城。
ここは昔の街の廃墟で、土で造られた家や建物が風化して奇妙な景観を形成している。 かつては繁栄したであろう街並みも、今は静かに時の流れを刻むのみ。
午後の一番は蘇公塔。ここはホテルからもそう遠くないところだ。
建物の中に入ると、なにやら見覚えのある顔が・・・。なんと、西安→ウルムチの列車で一緒だったL女史と再会!向こうも私のことを覚えていてくれたようで、嬉しかった。彼女らはアルタイという街に観光に行くと言っていたのだが、またこんなところで会うとは・・・
お次は葡萄溝。
「城は葡萄の中に、人も葡萄の中に」といわれているようにトルファンは「葡萄の王国」であるそうだ。確かに家々の軒先にはぶどう棚があり、郊外には葡萄畑が延々と広がっていた。
続いては交河故城。
午前中に行った高昌故城と似たようなところだが、こちらは大きな谷に接していて見事な景色だった。 その谷に、半島のように突き出た場所に一人の日本人の男の若者が登って写真を撮っていたのだが、はたと気付いたら自分がとんでもないところに上がってしまい、下りられなくなったらしい。 崖から半島のようにちょっと出っぱった岩があって、そことこちら側の崖を結ぶ部分が丸まっていて細く、しかも両側ともスッパリと30mほど切れ落ちていたのだ。 これは見ているほうも冷や冷やした。当人はもっと怖かっただろうが。
そして本日の最後はカレーズを見に。
カレーズとは地下水路のことで、トルファンの街に張り巡らされており、人々の生活に欠かせない場所となっているようだ。砂漠のオアシス都市だけに、水を大切にしている現れなのだろう。
そんなわけでトルファン観光は満喫できたのだが、今日の昼頃から急に腹痛に襲われてしまった。中国に来てから初めて、ついになってしまった。何がいけなかったのか原因はよくわからないが、高昌故城で食べたシシカバブー(羊肉の串焼き)か、ハミクワがいけなかったのかもしれない。 昼食はなんとか食べたが、結局それから何も食べることができず、夕食も食べないで正露丸と一応風邪薬を飲んで寝た。
8時頃から寝たのだが、10時半頃森尾君が部屋に来て目が覚めたら腹痛も体のだるさもすっかり取れていた。長続きするものでなくてよかったよかった。
しばらく森尾君と話していたら、例のウイグルに詳しいEというおじさんが部屋に戻ってきていろんな話をしてくれた。ウイグル人のことや歴史、中央アジアの歴史、モンゴル人とトルコ人の関係、朝鮮の話、対馬の北部はかなり朝鮮文化を受けているとか、興味深い話をたくさんしてもらった。大学の講義の100倍は面白い。 そしてこのEさん、政府が発禁にしたウイグル人の歴史に関する本を持っていて、これが見つかるとかなりヤバイのだという。なにせ、その本の著者は逮捕されて南京の刑務所にいて、出版者の社長はクビになったというのだから、やはりかなりの内容なのだろう。 Eさんに言わせればそれほどたいしたことは書いていないのだが、ウイグル人の歴史に関して政府との見解が異なるため、まずいらしいのだ。これが空港の税関などで見つかったら一発で逮捕!、とまではいかないが、警察連行は間違いないらしい。
しかし、小声でボソボソとしゃべるこのEというおじさん、実にいい雰囲気を醸し出している。
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