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1991/8/12 西安

 

 今日は楊くんに午前中「興慶公園」というところに連れて行ってもらうことに。今日は月曜なので楊くんは本当は仕事があったのですが(ちなみに楊くんのお仕事は飛行場での航空管制とのこと)、日本の友人を案内するからということで昼間は休みをもらい、夜仕事に行くとのこと。本当に申し訳ない限りでした。

 

 興慶公園は私の希望でつれていってもらったのですが、なぜならここに「阿倍仲麻呂の記念碑」があったからです。左の写真がそれです。

 阿倍仲麻呂は遣唐使として中国に留学に来たのですが、「科挙」という中国の役人登用の試験に合格してしまったがために中国の役人になってしまったのです。

 その後彼は鑑真とともに日本に渡ろうとするのですが失敗し、結局二度と日本の地を踏むことはありませんでした。
 

  天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出(い)でし月かも

 

 百人一首にも入っている有名な歌ですが、異国の地で人生を終えざるを得なかったことは、さぞ無念だったことでしょう・・・

 

 

 この公園を歩きながら、楊くんが日本の北方領土のことを話してきました。私が、日本もソ連(当時はまだソ連といっていたようです)もお互い自分の領土だと主張して譲らないんだというと、楊くんはこういいました。

「北方領土は日本のものだ。なぜなら地図を見ればわかる。あんなに日本の領土の近くにあるのだから。それに、ソ連はあんなに大きな領土を持っているのだから譲るべきだ」と。

 私が日本人だからそういってくれたのかもしれませんが、気持ちだけでもうれしかったのを覚えています・・・

 

 午後からは王さんも一緒になり西安のシンボル「大雁塔」へ。

 
左:大雁塔へ向かう道 右:大雁塔前にて楊くんと

 さすが名だたる観光地と見え、外国人がたくさんいました。

 楊くんは疲れたからということで登らず、王さんと登ることに。左の写真は塔の中からの西安の街の眺め。

 王さんは中学生のときにこの塔に登ったことがあり、そのときはみんなで競争したそうだが、今はもうそんな元気はないと笑っていた。

 まあ、東京の東京タワーみたいなもんですな。

 

 

 

 今日で西安の観光も終わり。いよいよこの2人ともお別れです。楊くんは私のことを決して忘れないといってくれました。王さんも手紙を出すといってくれました。

 

 列車に乗るため西安駅へ。

 

 

PM8:54 珍しく定刻どおりに西安を出発。砂漠と荒野を抜けウルムチを目指します。これから3泊4日の寝台列車の旅。ウルムチ着は15日早朝の予定です。

 

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