B型人間の山歩き ブログ HOME Yahoo! JAPAN Google 越後駒ケ岳(2,003m)
Yahoo!南魚沼市の天気
〜オススメ山グッズ〜
2004/10/23(土) 少し雨のぱらつく中、雨具を着て帽子をかぶってさあ出発、と思ったら「あれ?あれれれ?」帽子がない。出かける前に荷物の整理をしたときにおいてきてしまったようだ。われながらあきれてしまう・・・。枝折峠まではマイカーで来ました。
登山道は危険なところはありませんでしたが、水たまりや結構な泥沼のようになったところもあったりして、登山靴の先がずぶ濡れになってしまいました。登りのときはスパッツをしなかったのですが、泥でかなりズボンも汚れてしまいました。 山頂近くなると岩場となりますが、クサリもあるのでゆっくり登りましょう。
そして枝折峠から4時間ほどで12:55に駒の小屋到着。小屋の前には水場がありましたが、管理人さんが冬支度のため水場に冬囲いをしておられました。
今日この小屋に泊まる客は私を含めて4人。小屋の管理人さんもこの雪で明日はもう山を降りるとおっしゃっていた。買ったばかりのモンベルのシュラフを持っていったのだがさすがに寒く、小屋の毛布を2枚拝借した(通常は一人一枚。銀マットも置いてあった)。
「・・・ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!」
「!((((゜ロ゜;))))!」
すると、同じ部屋に泊まっていたおじさんがラジオをつけてくれた。震源地は小千谷で、震度は6と言っている。すぐ近くだ。しかも上越新幹線は脱線したらしい。明日は実家の見附に戻ってから東京に帰らなければならないのに、日曜の夕方までに新幹線が開通してくれればよいのだが、などとこの時点では思っていた。 その後も同程度の余震が続き、下から客のおじさんが上がってきて、すごい地震だけど、今日はもうどうすることもできないからここで朝まで待つしかないね、などと話し、腹をくくって寝ることにした。
2004/10/、24(日) 疲れたのか、結構朝までよく眠れた。朝方もまだ余震があった。5:30ころ外に出ると、昨日とはうってかわり、ドピーカンの快晴で下は見事な雲海が広がっていた。雲海の写真はよく撮れなかったのだが、管理人さんも「こんな(雲海)のは今年初めてだ、地震も初めてだけれども」と言っていた。しかし、ものすごい眺め。新潟にこんなところがあったなんて知らなかったなあ。
昨日駒の小屋の2階に一緒に泊まりラジオをつけてくれた方の話によると、山というのは三角形だから、平地よりもおそらく安定しているはず。なおかつ山小屋というのは強風が吹き、ものすごい雪の積もるところに建っているから絶対に頑丈に作ってあるはずで、自分は昨日の地震でも別に心配はしていなかったと。その方は阪神大震災を現地で被災されたそうだが、そのときは比較的山手の地区に住んでいたので、被害や揺れも平地よりは少なかったそうだ。 (後日後記:この話をしてくださった方はMさんといい、2年後の2006年8月に穂高岳山荘で偶然再会しました。その山行記はこちらです)
7:25駒の小屋発。昨日は泥でズポンがドロドロになったので、今日は買ったばかりのスパッツを初めてつけてみました。
そんなことを考えながら歩いていくと、登ってこられる方がいらっしゃるのですね。おお、これはラッキー!枝折峠が通れるか聞けるではないか。でもまてよ?あれだけの地震の翌日に山登りに来る人って・・・。何組かの方の話を総合すると、どうやら枝折峠から小出まではなんとか通れそうだ。
そして、最後にすれ違ったおじさんの言葉がイカシていた。
「こんなに天気がいいのに、もうおりちゃうんですか(笑)?」
・・・・・・、あなたはあんな地震があったのに、なんで山なんか登っているのですか?という素朴な疑問がわいたのだが、そこはそれ、その人の人生ですから、「ええ、遠くまで帰るもんですから」と答えた・・・。
スパッツのおかげで泥は避けられましたが、このあと、本来なら1時間ちょっとで帰れるところを10時間かけて帰ることになり、翌日は東京の会社に出勤できず、お休みを頂くハメとなりました。 私の実家も風呂のタイルがひび割れ、ガス、水道も止まっていました。この地震で亡くなられた方には心よりご冥福をお祈り申し上げます。
今回の山行の教訓:無人小屋泊まりにはラジオが必要ですね。
B型人間の山歩き Copyright(c) B・Y.All rights reserved. プライバシーポリシー |